音感弱者成長記録

音楽制作方面の活動記録。余談記事多め。

数学が何の役に立つのかのひとつの答え ブログコンテスト「迷い」と「決断」に際して

こんな人向け

・自信が無くて決断を下せない。いい方法を探している。

・数学が何の役に立つのか答えを探していて、誰かが出したひとつの答えを参考にしたい。

 

 

まえがき

「数学ってなんの役に立つのかなあ」と何かと折に触れて考えていました。その回答のひとつをかつて塾講師をしていた時に見つけたのですが、それが今回のブログコンテストのテーマに合う気がしたのでそのことについて書きます。個人的意見が多分に含まれているので異論あることは想定の上です。20万円欲しいので書きます!

 

(書き終わってみたら2500文字くらいあったので、概要だけ知りたい方は「見出し」と「まとめ」だけ読めばOKです)

 

 

評価できない無数の選択肢から「いい感じに選び取る」方法が得られる

 

ものごとを解決しなければならない時、そこには大抵無数の選択肢があります。夕飯はなににしようかな?とか、人生を満足して終えるためには今なにをするべきなのか?とか。

 

無数に選択肢はあっても結局未来はひとつなので「決断」しなければなりませんが、どの選択肢を選べばいいのかよくわからないことで「迷い」が生まれます。

 

そんな時の選択肢の選び方には絶対的な正解など存在しないので、人それぞれいろんな考え方に基づく答えがあっていいと思います。

 

「勘」にせよ「神様のお告げ」にせよ「周りのみんながそうするから」とかにせよ、それはその人の選んだ答えとしてそれ以上でもそれ以下でもありません。選んだ先の未来を見ない限り、その選択肢の評価はできないですから。

 

ただ、「未来はわからない」といっても「勘とかじゃない、何かいい感じの決め方が欲しい!」という人には「数学を勉強すると、いい感じの決め方のひとつが身につくよ」と私は提案します。

 

 

「数学」は体系に過ぎない。必要なのは「論理」「推理」「数値処理」

 

なぜ数学を勉強すると「いい感じの選択肢の決め方のひとつ」が身につくのか?というと数学を勉強することで「論理」「推理」「数値処理」が養われ、それらは「決断」を助けてくれるからです。

 

「数学」というのは大抵の人にとって訓練体系に過ぎません。大抵の人にとって「剣道」は人を斬るためにやるものでは無く、それを通じた身体力や精神力の向上、文化や礼儀作法の習得のためにやるものであることに似ています。

 

「決断」することは数学とそれに付随する力ができなくても問題ありません。しかし「直感」や「好み」のような「主観的な根拠に基づく選択」とは別の「客観性のある根拠に基づく選択」は論理なしには導けません。

 

主観に依るものでも客観に依るものでも、結局未来はわからないから同じでは?と疑問が湧きます。まさにその通りで、どちらにせよ評価できないことに変わりはありません。しかし「客観性を持っている」というのは利点があり、「人を説得しやすい」のです。

 

 

他者を巻き込む必要があるなら客観性は効果的

 

決断の内容によりますが、実現のために他者の協力を必要とすることはよくあります。誰しも時間や資本や能力の制限によって、自分ひとりでできることはかなり少ないからです。

 

そこで他者を説得し協力を仰ぐ必要が出てきます。この時に客観性のある根拠を提示できれば、相手はそこに妥当性や実現性を感じ協力してくれる可能性は上がります。

 

もちろん人は論理によってのみ動くロボットのような存在ではありません。非論理的であっても「説得者の愛嬌」や「たまたま気分が向いたから」などの理由で協力してくれることもありますし、その逆で協力してくれないこともあります。

 

ただひとついえるのは「愛嬌」や「カリスマ」といった「説得の武器がある人」も「それらがない人」も、「客観性」というのは使えるようになれば「新たな説得の武器」になるということです。

 

これは愛嬌やカリスマでは攻略できない相手でも、客観性を持ってすれば攻略できるかもしれないということです。通用しないことももちろん考えられますが、試せる手段が多いぶん攻略の可能性は高まります。

 

 

「自信がない人」には「客観性のある決断」ができるようになることは特におすすめ

 

自分に自信が持てない人は自信がある人に比べて、決断を下しにくい側面があります。そういう人でも「論理や数値処理で客観的に導く」ことができるようになれば、「この決断は私が出したものというよりは、条件から自ずと出てきたものだ」と考えられるようになり、自分の決断に前向きになれます。

 

責任転嫁に近い姿勢ではありますが、何も決断できないよりはマシですし、結果失敗であっても答えを導いたプロセスの改善に役立てれば次回での成功可能性を高めることができます。

 

また失敗に対する説明を他者に求められた時に、説得力や妥当性のある説明ができます。他者は責めてこなくても、自責の念を感じすぎる時に自分の精神安定にも役立ちます。

 

 

まとめ

数学は「論理」を中心に「推理」「数値処理」といった「決断のための材料」が身につく。そしてそれらに依る決断は「客観性」を持つから、他者の説得に効果的を発揮する。それによって他者を動かし、協力し合うことで実行できることが増える。また自信が無くても「論理的な筋」が通ったものなら前向きに決断しやすくなる。

 

 

あとがき

 

私は音感はもとより、絵を描くことやスポーツや表情態度から相手の気持ちを汲み取るといった「感覚的なこと」に対しあまり自信がありませんでした。それ故に「論理や根拠」によって人生の岐路における「迷い」を打ち払い、「決断」を支えてきました。

 

そうしたことを振り返ると数学は勉強しといてよかったなと感じます。あとあとで「論理によって全ての問題は解決する」なんて思い違いをし、過ちを犯すこともありましたが。

 

今回の内容で「推理」「数値処理」の利点についてまとめきれなかったので、ここに軽く書いておきます。「推理」は「現在見えていない選択肢や判断材料の発見」に役立ち、「数値処理」は「定量的な根拠を示すこと」に役立ちます。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

20万円もらえますように!