音感弱者成長記録

音楽制作方面の活動記録。余談記事多め。

「自由研究」のあいまいな定義 今週のお題「わたしの自由研究」に際して

今週のお題「わたしの自由研究」

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Photo by Rod Long on Unsplash

今回は余談です。

思い返すと「自由研究」って歪な姿になってしまってるんじゃないかという話と、じゃあどうすれば改善するかと考えてみた話。

 

「研究」のハードルを高く思い込んでいた

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Photo by Chokniti Khongchum from Pexels

自由研究というと小学生の夏休みの宿題の定番です。

しかし私は小学5年生の時まで「何をしたら自由研究になるのか」がわかっていませんでした。

「研究」と呼べる行為がどんなものかは小学生なりにイメージがありました。

子供向けの伝記で読んだエジソンガリレオアルキメデスがやっていたみたいに「何かを調べて新しい発見をする」ということ。

ただ自分でハードルを高く設定しすぎていて「天才じゃないし、実験器具もないし、そんな立派なことはできない」と思っていました。

今になって考えてみれば、そんなスケールの大きいものでなくても「研究」と呼べるものはたくさんあるとわかります。

例えば

「七味唐辛子を出している各社の『七味』の内容の違いと地域性との関連」

という研究テーマは今パッと思いついたものですが、研究材料格安で参考資料も探しやすく、かかる手間暇も少なくて都合が良さそうです。

それでいてユニークさもあるのでそれなりに新鮮な発見が見込めます。

 

全うな定義に従うのは難しく、結果あいまいになる

友達や先生に

「自由研究ってどんなことをしたらいいんですか?」と訊くと

「なんでもいいんだよ」と返ってきます。

今思えば、質問が下手で必要な情報が得られていないとわかります。

しかしこれを分析して

「小学生でもできる研究って例えばどんなものですか?」

とか

「研究ってどんな進め方をすればいいんですか?」

と質問することは当時の私にはできませんでした。

結局「何をすれば研究と呼べることができるのか」わからなくて、そのまま夏休みが終わってしまい、クラスの自由研究発表会で宿題をやってないことを発表することになります。

発表会で他のクラスメイトの発表を聞いているといろんなものが出てきます。

昆虫の標本を作った人、植物の観察をした人、科学雑誌の付録を組み立てた人、書道コンクールに出した作品を持ってきた人、絵を描いた人、紙粘土で模型を作った人、牛乳パックやペットボトルで工作をしてきた人。

「研究」と呼ぶ要素を持っていないものも多くあります。

しかしそれらも「自由研究の成果」として先生には認められます。

全うにいくなら「それのどこが『研究』と呼べるのか」と先生からツッコミが飛ぶべきだと思いますが、小学生にそれを求めるのは厳しいものがあります。

大半の小学生にとって「自分の置かれた環境で実行可能であり、夏の一ヶ月ほどの期間内で発表できる成果が得られそうな研究テーマ」を探して判断することがまず困難です。

仮に研究テーマが見つかり、実行できたとして「内容を相手に伝わる形で表現すること」もそれなりに困難です。

大学生ならレポートやポスターといった手段を知っていて、「どうすれば伝えたいことが相手に伝わるか」の工夫ができます。

しかし程度の差こそあれ、それらを小学生の思考力で求めるのは無茶です。一部の優秀な生徒しかできません。

おそらくそんな事情があって

「自由研究は『研究』と名を付いてはいるものの実際の内容は研究になっていなくても良くて、普段の学校生活でしてないようなことをしてきてくれればいい」

というものに成り下がってしまっているのだと私は思います。

事情があるにせよ、『研究』という言葉の理解がゆがんでしまう一因になるので改善すべきことです。

 

存在は残すべき。対象は5,6年から。サポート必須。

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Photo by Alexis Brown on Unsplash

「自分で課題を設定し、何をすべきか考え、実行し、得られた情報がどんな意味を持っているのかを他者に伝えるということ」は実践的でありながら自由研究のような機会でないとできない「貴重な学び」です。

それ自体は大きな価値があり残すべきことです。

問題は現状がそうした学びを達する姿をしていないことです。

本来であれば「普段やっていないことをやること」が「研究になる」わけではありません。

これはただの直感ですが、自由研究ができる素地となる思考力はおそらく5,6年生くらいにならないと育っていないのではないかと思います。

そのため課題を出すのは5年生からにします。4年生以下の学年では自由研究が研究の姿を成しにくいので研究となる課題は出しません。

そして5,6年生でも進め方に戸惑うことは十分に考えられます。

サポートをつけるべきであり、方法はいくつか考えられます。

私が少ない手間で大きな効果を出そうと考えるなら、「夏休み前に『研究テーマ』と『実行計画』を先生と相談して決めておく」ことかと思います。

週に1度くらいの進捗報告会があれば理想ですが、手間がかかりすぎます。

生徒が迷ったまま夏休みの終わりを迎えるリスクを減らすには、ある程度やるべきことが決まっていることが効果的です。

しかしこれは「生徒が自分で課題を設定する学び」という点では不利になる諸刃の剣です。やりすぎない配慮が必要になります。

私ならこんな感じで実践してみて、現実味と効果を検証し改善していくかなと思います。

 

まとめ

今の自由研究は研究の要素を欠落させているものでも認められてしまっている。それでは自主的で実践的な学びにならないため、周囲のサポートをつけて水準を高めるべき。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

休みが終わって残暑が厳しい今もそれなりに頑張って行きましょう。